2022年 10月 02日
モーテ夫人とドビッシー |
さいたま市見沼区大和田町1ー1095ー2ー103
電話048ー689ー0425
季刊「銀紗」編集室 近藤敏広
ホームページhttp://www2.odn.ne.jp/cam62720/index2.html
モーテ夫人とドビッシー
1871年の秋。パリのニコレ街14番地にあるモーテ夫人の家に到着した
のがドビッシーです。
モーテ夫人はピアノ教室を開いていたそうです。
一説によるとショパンの弟子と言われています。
ここでドビッシーは1年間ピアノの勉強をしてパリ音楽院に入りました
モーテ夫人と言うのはヴェルレーヌの妻マチルドの母親です。
兵役を逃れるために結婚をして(そのうえ思い込みから)逃走して
逃げ込んだのが妻の実家モーテ夫人の家です。
ヴェルレーヌが来てランボーが来てドビッシーと言う順序かな。
ドビッシーの家族がサンジェルマンアンレイからパリに来たのが前の年
その前に遡ること1870年の冬
カンヌにいる伯母のクレモンティーヌのところにドビッシーのお母さん
がお産のためにドビッシーを連れて行きます。
ところがその年の夏に普仏戦争が始まって父親が失業してしまいます。
年末も近づくころパリの区役所に務めることになりました。
区役所に務める間も無く戦争に駆り出され捕まって営倉に入れられて
しまいます。
そこにシブリー(モーテ夫人の息子)も入れられて来ます。
何もしていないシブリーは解放してもらいましたが、そこで会ったのが
ドビッシーの父親です。
ドビッシーの家の次の引っ越し先はパリのピガール街になります。
シブリーの紹介でドビッシーをモーテ夫人の所に通わせることに
なりました。
疑問が湧きますよね。
普段はどこでピアノの練習をしていたのか、そして一年で音楽院に
入学した技量をどうしてシブリが知ったのか。
一つだけ解るのが次のパリでの引っ越し先がピガール街だった事と
ピガール街の前(片側1車線の道を挟んだ)のロシュフーコー街に
シブリーが住んだ事です。どうやらそのシブリーの部屋で
ピアノを練習していたのでしょう。
その辺りとモーテ夫人の所に定期的に通っていたかもはっきり
していません。
パリの部屋からシブリーの部屋でピアノの練習をしてモーテ夫人の
所に通っていたと言うのが良いのかもしれません。
ピアノの先生に出稽古を付けてもらうのは今でも聞きませんもの。
長くなりました。
本当はパリコンミューンやそこにマルクスがいた事などお話しすると
(経済学部でもこの事は勉強しないのです)
もっと歴史がわかるのですけれど、今日は前書きと言う事でここで。
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by guluda
| 2022-10-02 13:04
| クラシック音楽
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